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コラム

ノーベル賞受賞者著『文明化した人間の八つの大罪』その5: <思い出の本の要約紹介>シリーズ 1冊目

■著書『文明化した人間の八つの大罪』とは

私が昔読んだ本は、【思索社 訳者:日高敏隆・大羽更明 昭和48年9月20日第一刷発行 昭和56年9月25日第十五刷発行】のものです。

著者はコンラート・ローレンツ(1989年没)。オーストリアの動物行動学者、医学博士・哲学博士で、1973年ノーベル医学・生理学賞受賞者。

この著書で述べられている「八つの大罪」とは、現代文明ばかりでなく、種としての人類をも破滅させるおそれがある過程を指しています。八つのうちの八番目は「核兵器(を持った人類の軍拡)」で、これについて著者は、「前に述べた七つの現象がひきおこす危険に比べて避けやすいものである」と述べていますが、八つの大罪すべてについて「どんな危険でも、その原因がわかればだいたいおそろしくなくなるものである。」とも述べています。

この記事では、他の七つのうちの五番目について紹介します(一番目と二番目については2021年5月31日付け投稿記事で、三番目については2021年6月18日付け投稿記事で、四番目については2021年6月22日付け投稿記事で、五番目については2021年6月24日付け投稿記事で、それぞれ紹介しています。)。

■八つの大罪の六番目:伝統の破壊

◇著者の主張の結論

伝統の崩壊は、若い世代がもはや古い文化的伝統とうまく和解できなくなり、ましてやそれと一体化することができなくなる臨界点に達することによって引き起こされている。」、
人間というものは、ある人を心の底から深く愛し同時に尊敬するときはじめて、文化的伝統を自分のものにすることができるにもかかわらず、一体化が乱れる原因は、なによりも親と子の間の接触が欠かけているところにある。病いは既に乳幼児の頃にはらまれているのである。

◇背景説明

人間の文化の発達は、系統発生における種の進化とよく似ているが、人間は自由な記号(言語)をつくり出す能力によって抽象的に考え、言葉を用いることを通じて、個体が獲得した知識を広め伝える、それまで見られなかった可能性を開かれた結果、文化の歴史的な発達が種の系統発生より数層倍も速く進行する原因になっている

ところが、種の進化と文化の発達において、多くの生得的な性質のうちから保持されるべものを選り抜く方法は、明らかに同じであって、それは徹底的な審査による淘汰」なのだけれども、人間は、身の回りの自然の支配を不断に強めて人間に対する淘汰要因を次々に奪い取っている結果、文化の構造や機能によって規定される淘汰は、確かに種の変遷において働いている淘汰ほど強くはないようになってしまっている。

◇関連して印象深い点

他にも、この著書の「第7章 伝統の崩壊」のなかの次の二つの点が、私には特に印象深いです。

①「合理的に理解できることだけが、あるいは科学的に証明できることだけが、人類の確実な知的財産であるという迷信は、有害である。」

「科学は必要なもの一切を備えた完全な文化を、合理的に、しかも無からつくり出せるという」迷信は、新しい文化を「創造的に」建設するには親の文化を全面的に破壊するのが一番良い、という全く錯乱した結論を引き出させる。事実それは可能だろう、ただし、クロマニヨン人以前の時代からやり直さねばならない。

以上のように述べる著者に私は全く同感です。

著者は、「人間は人間のゲノムに手を加えれば人間を任意に「改良」するに十分なだけの知識を持っているという考え方」を「馬鹿げている」と強く否定しています。

この広い世界には、とりわけ世界レベルの知識人のなかにこそ、“筋金入り”の科学万能主義者がいるようです。江戸時代の二宮尊徳が残した有名な言葉の一部に「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。」がありますが、これになぞらえて私流に言えば、倫理観なき科学技術は人類に対する罪であると思います。

②「感情的な興奮は合理的な機能を抑える」「憎しみは、人が伝えようとするあらゆる報告を歪曲し、逆転させる」

なかなか“意味深”ですよね。
過ぎたるは猶及ばざるが如し」!
第一に、同調圧力、より正確には、仲間外れにされて不利益を被ることへの恐怖心のせいか?新型コロナウイルスを【“正しく=過不足なく”おそれる】ことができていない人、第二に、自粛要請・協力要請という美名のもとに同調圧力や自粛警察等によって、欧米先進国と比較して国民に対する貧弱な補償で国民に対して過大な負担を求め続ける政治・行政に我慢し過ぎる人が、海外と比較して日本では多すぎる気がしてなりません。

■私なりの理解と感想

人間の文化は、【保守的なファクター】と【革命的な新しいファクター】という二つの機能の均衡によって維持されています
ざっくり言えば、前者の機能は伝統の基盤をなすものであって、年長者に代表される「文化の伝承によって受け継がれているものの擁護」、後者の機能は「自由」を体現していて、若者に代表される「新しいものの導入」です。

ここでいう「自由」とは、勝手気ままという意味の自由ではなく、個々人の自由が万人の自由と調和(両立)してこその自由であって、法的秩序によって保障される「すべて法の許容することをなす権利」という「自由」であり、構造(法的秩序)がなければ「自由」は存在しえません。

【保守的なファクター】と【革命的な新しいファクター】の二つの機能の均衡が崩れてしまうと、前者に大きく傾けば文化は “化石化” に向かい、後者に大きく傾けば文化は “怪物化” に向かってしまうでしょう。
ちなみに、権威主義的教育は必要な「自由」を与えるのを拒み勝ちですし、一方、放任主義的教育は「自由」の前提を認めるのを拒み勝ちです。

以上のような、人間が社会生活をしていく上で真に必須の基礎知識を、義務教育の中学校と準義務教育的な高校の段階で、思春期の若者のうちからきちんと教え込んでもらいたいものです。

ABOUT ME
五条光来(ごじょう あきら)
令和2年の春、それまでの仕事の退職を機に、生まれ故郷(京都市)に隣接する某都市に居を構えました。今(注:令和3年4月)現在は、長引くコロナ禍で、巣ごもり的な生活を続けながら、<風の時代>の新しい生き方を模索しています。人生最期のときまで、自分を磨いて高めながら、何かのお役に立って生きていたい、と考えています。 映画『ちはやふる-結び-』(2018年)の中で周防名人が真島太一君に言ったセリフ「本当に強い人間は周りをこそ強くする…………………後進には希望を、相手には敬意を、仲間には勇気を。時間も空間も超えて永遠になる」 この名言に倣って、読むと希望や勇気がなにかしら湧いてくる、そんなブログを目指していきます。